こんばんは。織田檸檬です。
くまみこ、終わっちゃいましたね。
一個前の11話と最終回が続き物になっているのは良い構成だったなと思います。2016年4~6月のアニメのなかで唯一僕がリアルタイムで追っかけたアニメでしたが、見てよかったと思います。発端は和丸が絶賛した『KUMAMIKO DANCING』だったので、和丸に感謝ですね。
よかったといえば、終わり方。僕はちょっと思うところがあったので。今回はそれを書こうと思います。
さあさあお逃げなさい
『都会の高校に行く!』という宣言からはじまったくまみこ。
そのエンディングは『都会の高校には行かない!』でした。都会へのトラウマを重ねたまちちゃんは最終的に熊出村の田舎を選びました。ナツのいる熊出村を。慣れ親しんだ熊出村を。
(アニメではそうでしたが、原作マンガだとどうなるんでしょう。たぶん都会に行く行かないを繰り返すサザエさん時空ものかなと勝手に思ってますが、そこらへんどうなんでしょうか)
僕はこれ、逃げたとも捉えることができると思います。
でもその選択に賛成です。
石を投げられる都会
村と比較して人数も経済も圧倒的な規模を誇る、メトロポリス仙台。そこでアイドルコンテストに出場していたまちちゃんは、そこで大多数の人間を目の前にします。
普通の人でさえ人前に立ってパフォーマンスするなんて恥ずかしくてできないのに、過疎村出身のまちちゃんなら言わずもがな。相当なストレスを感じていたのは筆舌しがたいかと思います。
現にまちちゃんの神楽は好評で、審査員特別賞までもらったのにも関わらず、まちちゃんはトラウマを抱えてしまいます。人々の称賛も、まちちゃんの田舎コンプレックスが原因で罵詈雑言に聞こえてしまうわけですね。
一般の人は『いやいや被害妄想強すぎかーいw』と突っ込みつつ笑いながら見れるのでしょうけど、僕はあまり笑えませんでした。
なぜかというと、他人事じゃない気がしたからです。まちちゃんの気持ちはとてもわかります。わかり手です。
僕も結構、他人の言動をそういうふうに悪口にエンコードして認識するクセがあります。良いことは嘘かお世辞、悪いことはそのままとらえてしまうというふうに。
まちちゃんのあの、石を投げられる、田舎者のくせに帰れみたいな妄言はまさにその通りな描写で、僕は毎回ニヤニヤしつつも見るのは正直しんどかったです。
しかし、こういうのって世間一般的に傷ついた側が駄目だしされますよね。水曜どうでしょうでいうと『ダメ人間』。
僕が愛読しているDJあおい先生も、そのくらいで傷ついて被害者ぶってんじゃねえエビフライぶつけんぞと喝を入れるでしょう。
まぁ今回の場合、良夫が無理やりアイドルに仕立て上げたわけで、まちちゃんがダメ人間と言われる筋合いはないでしょうけど。
でも結局そういうのを避けるようにして『都会の高校に行くのをやめる』と宣言したまちちゃんは、熊出村を選んだというより都会の選択から逃げたと考えたほうがいいでしょう。
僕はこの逃げの選択に賛成したいと思います。
肯定的なエンディングによる救い
ナツはもともと、都会の高校に行くのは否定派だったので『都会の高校に行かない』と心変わりしたまちを温かく迎えます。僕はこのエンディングでよかったと思います。
まちには帰る場所があるし、安心できる場所がある。それなら田舎にずっと居ましょう。そうやって楽しく暮らしていきましょう。なんて素晴らしいエンディングなのでしょうか。楽しく暮らそう! それでいいのだ! そうだそうだ!
まちちゃんの都会っ子試練はあまりにもぬるいもので、こんなことで都会行きをあきらめるなど( ´_ゝ`)フッ笑止、というのが世間の9割を占めると思いますが、僕はそれで傷つき田舎を選択したまちちゃんをナツが温かく迎える、ナツといつまでもいちゃこらしているこのエンドを素晴らしい締めくくり方だなと思います。それでいいんだよと言ってくれているようで心が強くなる気がしました。
まとめ
そもそも、まちちゃんの『都会の高校に行かない』という選択が逃げの選択と捉えるのは乱暴だし、そうだとしても受け入れてくれるナツ的存在がいないとハッピーエンドにはならないとは思いますが、とにかくまちちゃんがハッピーになってなにより。なので良い選択をしたなと思います。
今度は都会の大学に行くとかいいだすのかな~。行くならヤリサーに気をつけてな~と言いたいですね。
以上です。